サラリーマンを卒業するということ
2018/07/17
皆さんの中には、今の仕事が辛いので、仕事を辞めたいと思っている方もいらっしゃると思います。
私は2017年3月末日で、3度目の職場を契約期間終了により退職し、サラリーマン生活に終止符を打ちました。
退職して3か月が経過しましたが、過去の経緯を振り返り、今の状況をお伝えしたいと思います。
1.一度目の就職と退職
大学を卒業後、新卒で就職しました。就職活動はあまりせずに、最初に面接に行った会社で内定をもらったので、そのまま就職しました。
大学受験に2度失敗し、浪人生活の経験があったので、就職の時には苦労したくありませんでした。
就職先は、その頃は元気のあった家電メーカーS社の米国との合弁会社で、親会社より元気がありました。
十分な社員教育もしてもらい、仕事も楽しかったです。一番良かったのはボーナスが年間8か月分出るということでした。
東京本社に5年、仙台営業所に1年、福岡営業所に4年勤めました。
福岡生活がとても楽しくて、東京に戻りたくなくなり、福岡で新しい仕事先を探し始めました。
ちょうど某国が新しく福岡に出先機関を開設するので、職員の新規募集がありました。
幸いにも2度の面接の後、採用されました。
元の会社には、採用が決まってから退職の報告をしましたので、失業のリスクなく転職することができました。
この時は、元の会社に不満があって転職したのではなく、自分のキャリアアップとやりたい仕事を求めての転職でした。
2.二度目の就職と退職
2度目の就職先は、某国の出先機関で、いわゆる「外国政府の現地採用職員」という立場でした。
職員が少ない職場でしたので、全ての仕事をやらなければなりませんでしたが、ある程度なんでも自分の裁量でできるということで、楽しく仕事をさせてもらいました。気が付けば21年間も同じ組織で仕事をしていました。
振り返れば本当にいろいろな仕事をやらせてもらいました。海外出張にも40回以上行かせてもらい、仕事の内容もやりがいのあるものでした。
しかしながら、だんだん組織の方向性も変わってきて、上司も定期的に変わるなか、相性の悪い上司に当たってしまい、精神的にきつい状況が続きました。
うつ病の診断書をもらい、1か月間休職したこともあります。
福岡の狭い事務所に相性の悪い上司と毎日仕事をするのは、とてもきついことでした。幸いにも本国の人事部がこの状況を打破するために、普段は例のない東京への転勤をオファーしてきました。
東京勤務となると、単身赴任で行くしかないので少し悩みましたが、現状を打破するためには他に選択肢はなかったので、東京への転勤を受諾しました。
東京勤務は、仕事的にはかなり面白かったですが、大勢の職員の中の歯車として仕事をしなければならない辛さもありました。悪いことに東京の上司が変わり、相性の悪い上司が本国より赴任してきました。
1年間辛い毎日でした。勤務評定は最低の1を付けられてしまい、評定レビュー期間3か月が言い渡されました。この期間に目立った実績を出さないと降格となり、減給となります。減給は退職金の計算にも影響してくるので一大事でした。
幸いにも何とか3か月間で実績を出して、降格は免れました。しかしながら、この仕事を続けていくことに疑問を感じ始めていました。
そのタイミングで「早期退職制度」が発表になりました。突然できた制度でしたが、私のような55歳以上の職員の早期退職をうながし、若い職員を採用するための施策だったようです。
ちょうど良いタイミングだったので、迷わず早期退職制度に乗ることにしました。
退職金の割り増しがあり、職場都合の退職だったため(雇用主の働きかけによる退職)失業保険もすぐに支給されました。
すぐに再就職はせず、夢の1つであった40日間の「世界一周旅行」に妻と2人で行きました。
退職金の一部をある事業に投資し、そちらの事業を手伝ったり、FXで利益が出せるようになっていたので、FXで食べていけるのではないかと勘違いをしていた時期です。
そうこうしているうちに、チャイナショックでFXで大損害を被り、投資していた事業もうまくいかなくなり、退職金が残り少なくなってしまいました。
失業保険は貰い続けていましたが、そろそろ支給期間も短くなってきたので、再就職先を探し始めました。
ハローワークで見つけたのが、3度目の就職先である沖縄県の外郭団体の嘱託職員の仕事でした。
3.3度目の退職
3つのポストに募集があったので、すべてに願書を出したところ、1つのポストの面接試験を受けられることになり、沖縄に飛んで面接試験を受けました。
その日のうちに合格内定が出ました。
4月1日の辞令交付式までには沖縄に赴任しなければならなかったので、準備期間は2週間しかありませんでした。
とりあえず単身赴任で沖縄に行くことにして、職場近くのビジネスホテルに滞在しながらアパートをさがしました。
幸いにも職場から徒歩圏内でアパートが見つかったので、そこに住みました。
1年後、アパートの目の前の賃貸マンションに空きが出たので、そちらに引っ越しました。同時に妻も福岡から沖縄に移ってきました。
この時から生活の拠点が沖縄になりました。
2年目までは良かったのですが、3年目に赴任してきた県からの出向職員が上司になってから、事態は一変しました。
陰湿なパワハラの毎日で、仕事に行くのが憂鬱でした。しかしながら、年度で区切られるプロジェクトを担当していたため、途中で放り投げるのは無責任であるということから、何とか年度末までは仕事を続けました。
2月に年度更新の希望を聞かれましたが、とても継続する状況ではなかったため、更新は希望しない旨を伝えました。
特に引き留められることもなく、3月末日を迎えました。
4.現在の状況
今回は、退職金もなく、自己都合の退職とされてしまったため、失業保険も3か月の待期期間があるため、すぐには失業保険がもらえませんでした。
サラリーマンを卒業するということで一番大きいのは、毎月の収入が途絶えてしまうということです。
雇われの身はいろいろと大変なこともありますが、自分の時間を切り売りして毎月の給料を貰うことができます。
失業保険も年金もない状況でサラリーマンを卒業してしまうと、翌日から定期収入の道が途絶えてしまいます。
自分で選んだ道とはいえ、ここまで追い込まれるとは思いませんでした。
ネットビジネスのほうは、まだ目標の月50万円を全然達成していません。それどころか、純利益はまだまだ雀の涙程度しかありません。
幸いにも、長期保有のFX投資からスワップ収入が少し入ってきますが、それ以外は定期的な収入がない状況です。
失業保険はやっと3か月の待期期間が終わり、7月20日分からは失業保険の受給ができるようになりました。
今回の失業保険は受給期間が3か月しかないので、10月20日までに何とか定期的な収入の道を確保しなければなりません。
今年の3月末日でサラリーマンを卒業したのは、有期雇用の契約期間が満了し、継続を希望しなかったためですが、職場のパワハラがすごく、このままではとても1年間サラリーマンを続けることができないという判断で継続を希望しませんでした。
退職理由の認定はハローワークが行います。パワハラの実態等の資料をいろいろと提出しましたが、結局自己都合による退職としか認定されませんでした。
今の仕事を辞めて失業保険をもらおうと考えている方は、十分に対策をして職場都合による退職になるようにしてください。
残業時間が非常に多いなどの過酷な労働環境である場合には、比較的容易に職場都合による退職が認められるようです。
5.結論
長々と書いてきましたが、結論は下記の通りです。
① ネットビジネスである程度成功するまでは、副業で行ったほうがリスクが少ないです
② サラリーマンを退職する時には、一番効果的に失業保険を貰えるようにしましょう
③ 退職金は大切に。使い方を誤るとすぐに無くなってしまいます
私の事例が反面教師となって、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。