人生における成功とは何か?
2017/12/11
<成功者の価値観について>
私は現在59歳ですが、私年代の価値観というのは、一流大学を卒業して一流企業に就職した人が成功者であるというものでした。
一流大学に合格するために浪人するのは当たり前の風潮で、私も2浪しました。
浪人1年目は真剣度が足りずに志望校に入れず、滑り止めで受かった大学に行こうと思いましたが、親から「この大学で満足できるのか?やる気があるならもう一年頑張れ」と励まされ、浪人2年目に突入しました。
2年目に通った予備校は、日本で一番といわれる予備校で、早稲田・慶應に合格しながら東大を目指して浪人しているような人がゴロゴロいました。そこで浪人生の「基準値」の違いを思い知らされた私は、遅ればせながら毎日必死で勉強しました。
その結果、第一志望の大学には入れませんでしたが、何とか慶應義塾大学に合格しました。
大学に入っても、多くの人は良い成績を取って一流企業に就職することを目指していました。
その頃の就職人気ランキングは損保、銀行、商社が人気で、メーカーはあまり人気がありませんでした。
人気の高い業種に就職するには、大学での成績が良くなければ就職できませんでした。
私は大学受験で凝りていたので、早めに就職先を決めてしまいたいと思っていました。
また、銀行、損保などの金融にはあまり興味がなかったので、最初に内定をくれた電子機器の会社に就職しました。
日本では名の通っているソ〇ーとアメリカの計測器No.1メーカーの合弁会社でした。
創立18年の比較的若い会社で、無借金経営というのが1つの売りでした。
就職の決め手の1つはボーナスの高さでした。 新卒にも初年度の夏のボーナスで給料の4.2か月分が支給されました。
(最初のボーナスは、大学の卒業旅行の借金返済に消えましたが。。)
この時点では、私自身人生の勝ち組に入っているという気持ちがありました。
最初の5年は仕事も楽しく、良い上司に恵まれて順風満帆の社会人生活でした。
しかしながら、良いことばかりは続くわけがなく、急激な電子機器業界の変化により、会社の主力製品の売上が低迷することになりました。
ボーナスの支給額も年々減少していき、普通の会社とあまり変わらなくなりました。
10年目に入り、自ら希望して行った地方営業所勤務も4年目となりました。
頑張って営業をして、1セット250万円の電子機器100台の商談をまとめましたが、途中でその機器が製造中止になることが決まり、
商談が破談になってしまいました。
せっかく苦労してまとめた商談が、会社都合で売れなくなってしまい、モチベーションが一気に低下してしまいました。
それからは、転職を考えるようになりました。